寝台特急

投稿者: | 2009年3月14日

今でこそ飛行機をもっぱら利用するようになったが、以前は東京まで寝台列車に乗ったりしたこともある。「さくら・はやぶさ」とか「富士」のように長く乗るのは実に面白かった。大阪に住んでいた頃には大阪発の寝台特急に乗ったこともあるが、それは小学校6年生の時の長崎行き「あかつき」だけだったと記憶している。
 距離としてはそれと大きく違わないのかもしれないが、船で本州に渡って、寝台特急で東京まで行くというのは風情がある。船で広島に渡り、わざわざ九州側までできるだけ移動して、例えば徳山あたりから東進する。ま、もちろん車内で寝るのが目的というよりは、各地の風景を確認する目的。尾道とか神戸とか、京都とか、名古屋とか。本来まず通過しないような駅を通過したりするのは面白い。そして中には「どうして?」というくらい東京に着くのが遅い列車もあって、富士山をじっくりバッチリ見ることのできる便もあったと思う。
 併結されたりしているのでよくわからなくなったが、結局乗ったのは「あかつき」「さくら・はやぶさ」「富士」「トワイライト・エクスプレス」あたりか。”トワイライト”は明らかに乗る人の目的も違うから、北斗星やカシオペアも含めこれからも続きそうだけど、あとは時代の流れか。あの青い長大編成を振り返ることができないのは寂しいな。
 そして、寝台列車というのは、「どうして連結部を改善しないのかなあ」というくらい、発車の時の機関車に引かれるショックが結構大きいことがあった。もちろん、それは機関士の腕次第なところがあったのかもしれないが、まあ、それも味わえなくなるのかと思うと少し寂しい。それに比べると、サンライズ瀬戸は電車だからいわゆる寝台列車とは違う存在。関西は高速なのにすごく滑らかな走りで、高松発だとまだ起きていられる時間なのについついゆったりと寝てしまう。そういや以前、東京?松山間に乗った。これは盆休みか何かの時期限定で、本来は東京?高松の便が延長されてたわけだ。ただ、実用という意味では翌日の飛行機やら新幹線に乗った場合よりも遅くて高いわけで、なかなか終点松山まで乗る人もおらず、旅情が目的の人がほとんどだったろう。
 機関車に引かれる列車に乗る経験というのがもう滅多にできない。大学生の頃は、京都の山陰線にはディーゼル機関車に引かれる客車がわずかだけ残っていたので、わざわざ体験しに行ったりしたが。ま、東海道本線を機関車に引かれながら延々と走るというのは、この高速化時代にしては、かなり贅沢な旅だったのかもしれない。