政治主導という言葉が時々出てくる一方で、事業仕分けを見ていたら「数字主導」になってませんか?と思った。帳尻あわせは大切だけども、数字はあくまでも数字。政策の方向性がないと仕分けにも意味がない・・・。
スパコンについては色々言われているが、今年の5月に既に当初の計画がある意味破綻している。元々三社が参加して開発していたのに、うち二社が撤退を表明した。それも踏まえて予算が組まれていたのかどうか。この場で賛成、反対を表明するつもりはないが、もしそれ以前の流れのままに予算要求されていたのだとしたら、そりゃいかんでしょうが、ということになる。
ただ、国の予算というのは融通が利かない。例えば3年計画で設定したら、基本的にはその計画通りに進めなければならない仕掛けが多い。もしそれを、お金をもらう現場側が途中で計画変更しようとすると随分と手間がかかる。スパコンの場合がどうだったのかはわからないが、環境変化に対応したくても、現場の側では変更できない状況が結構あるわけで、末端側を責めても本質はよくならない。
ま、コストというのはいつも悪者にされる。コストではなく投資だという話も見られたが、コストの方がいいのかもしれない。コスト・センターであればコストの削減で評価されるのに対して、投資センターとなると投資に対する利益率で評価されたりもする。撤退した二社は、おそらく投資に見合った回収ができないと判断したんだろう。回収の範囲をどこまで広げるかにもよるだろうが、投資って単純に言えばそういうものである。