子供たちが「当たり前体操」の替え歌を次々と作ることとは関係なく。
『民間では当たり前』という言葉を聞くと、「あ、またか」と思うわけで。過去にも散々聞かされました、この言葉。
この「民間」というのが何を指すのか。イメージに過ぎないわけで、言ってる本人がどこまで「民間」を知っているのか。どういう「民間」を知っているのか。かつて、1つの会社にだけ勤めたことのある人が「民間では当たり前」なんて連呼していた時には「それは、あんたの会社での当たり前であって、民間全般の当たり前かどうかはわからないでしょ?」と返事をしていた。
それに、私が訪問したことのある会社でも、それぞれ個性があって違いがある。結局どれが当たり前なのかなんてわからない。
別の見方をすれば「大阪の家庭にはたこ焼き器があって当たり前」という程度の話に過ぎない。もし「当たり前」のことだったとしても、それの是非なんて関係なく「普通にありがち」というだけのこと。大阪で当たり前なんだから奈良や京都でも当たり前のことにしなきゃならない?んなわけがない。それを繰り返し何かの根拠として言っているというのは、私の耳には届かない。