新型インフルエンザ、と呼ぶこと自体、やや問題があり、むしろ豚インフルエンザと呼ぶ方がいいのかもしれないが、このインフルエンザ、発症者数が少ない時期は、発症者の所属先は当たり前のように報道されていた、○○高校、○○駅の売店、○○銀行と。
感染を広げない、という意味では、ある程度発症者本人や移動経路の情報を公表・報道して、関係する人々に警戒を呼びかけることに意味はあると思うが、疑問に思う点もある。
最近は「○○県に住む会社員」というような言い方になってきていたのに、学校や大学に関してはつい最近も具体的に○○高校、○○大学、という調子。場合によっては校長先生が謝罪の会見のようなものを開いてきた。
確かに、学生・生徒、特に未成年は社会から見て保護の対象で、管理監督責任者が保護しないといけない、そのことから来る学校の責任というのもある程度わかる。本人の自己責任はある程度免除されている、と考えてもいいのだろう。でも、学校や大学に関してだけ、特にこういう扱われ方をされるのって、ちょっと不思議だな、とも思う。
そこまで責められる覚悟をしながら、さあ休校を解きますよ、修学旅行に行きましょう、集会をしますよ、と意思決定をさせられるのは辛かろう。どこまでホントかどうか知らないが、外部の人との一切の接触が断たれた、すべてタクシー車内より見学、おみやげも運転手さんに買ってきてもらうという修学旅行の紹介もあった。何か変だが、もし何かあった時のことを考えると、そういう考え方も出てくるよなあ。発症者の出た某銀行も、しばらくは店舗従業員総取っ替えで営業したと聞くし、だからこそ現実に社会が回らなくなってくるわけだ。
もちろん、自分自身、大勢を集めて教室で喋るという立場上、責任としてここ数日、朝晩体温を計ってきた。問題ない状態で経過してきたので、過去に書いていたブログ記事をこうやってアップしているわけだが。
当事者になってみてわかったが、このところ「自分が感染者だったらどうしよう」という不安ばかりがよぎっていた。さらにもし、県内第一号だったりすると何でもかんでも暴露されてしまうだろう、責められるだろうということを考える。こんなんでは発熱相談センターに相談したり、発熱外来で検査を受けよう、なんて素直に思えなくなってくる。密かにタミフル、リレンザを入手して、こっそり治癒するのを待つ、という選択肢があるなら、それを選ぼうとまで考えるかもしれない。
ある感染・発症者であった生徒さんからある程度情報を公表しないで欲しい旨の要望があったという。ある意味これも納得できる。HIVの感染・発症の時にも言われたことだけど、思い立ったら、不安を感じたら、すみやかに相談しようと思える環境をみんなで作らないといけないんだな、ということを感じた。そうすることこそが蔓延を防ぐんだから。