遠い思ひ出

投稿者: | 2007年6月28日

東京の東海道線から、べったり湘南カラーの列車が消えてしばらく経つということですが、品川-田町間の車庫を見ていると、高校時代の修学旅行というか林間学校というか、その旅行を思い出します。
 今から考えると結構すごい旅なのですが、大阪から長野まで、在来線の貸切列車で延々と走ります。その時乗ったのが、湘南カラーの、急行型と言ったらいいんでしょうか、各車両の前方と後方にそれぞれ1枚扉のドアが付いたもの。途中、長野県内ではリンゴ畑の中の引き込み線に退避したりしながらの旅は、テツならたまらなかったろう、と思います。その後は延々とバスに揺られて。「実際には下り坂なのに上り坂に見える四次元の坂」というようなところを通ったことだけ不思議と覚えています。
 それは単に経路の話であって、その旅の行き先は黒姫高原とか関・燕温泉。そして火打山登山。実は我々が行った年は前日から雪が降って、結局一大イベントだったはずの火打山登山は中止に。ま、実際のところどれくらいハードなんだろう、と不安もあったので、安堵した、という面もありましたが。
 それで、確かその時に、せっかく信州に来ているのだから、とミステリー・ツアーに担任の先生が連れ出したんだったと思う。バスに延々と揺られて南下して、別の山のハイキング。当時はそのあたりの地理に全く疎くて、ホントにどこに行ったのだかわかってませんでしたが、そのハイキング、かなりハードでした。足がクタクタになった記憶があります。ただ、その中で見た景色のインパクトがあまりにも強くて、大学生になってからも、そして今もずっと印象に残っています。印象的だったのが、その夏の台風に倒された(と思われる)木々、切り立った山、大きな池。
 で、大学院に進んでからだったと思いますが、どうしてもその場所にもう一度行きたい!と思うようになって、信州のガイドブックとかを片っ端から読んで。それでわかったのが、どうやら行ったのが志賀高原で、裏志賀山とか大沼池に行っていたんであろう(志賀高原観光協会へのリンク)、ということ。標識も出ていたんだろうからなぜ地名を覚えてなかったのか、というのも不思議だったんですが、写真で見るとずばりその場所。結局、大学院生としてのある夏休み、ハイキングに行きました、一人で。ま、こういう行動を共にできる人が当時いなかったもので。それと、何か封印された青春の一ページは一人で振り返ってみたくて。大阪に帰ってくると歩けないくらいにグタグタになってましたけどね。
 ま、結婚してからの旅行でも一度、リフトに乗ったりしながら夏の志賀高原のごく一部、渋峠までは旅しましたけど。
 何か夏から秋にかけての信州、志賀高原というのは、私にとってはひとつの聖域で。映像で見るだけでも何か懐かしいような気持ちになります。でも、封印している間に、何を封印していたのかさえ記憶の彼方に消えてしまいましたけどね。まるで「はるか、ノスタルジー」とかの世界みたいですが、要するにおっさん化してる、ってことか。
 今は子供が小さいので簡単に行けそうにはないですが、あの風景はまた見てみたい。