乗る自分、乗らない自分。さあ、どっち?!

投稿者: | 2007年8月12日

御巣鷹山のジャンボ機事故があったのが1985年8月12日。あれから随分と年月が経った。
 当時私は大学の1年生で、特段飛行機には関心がなかった。いや、むしろ「あの重いものが空を飛ぶのはおかしい」とさえ思っていた。今もある程度そのように思っているわけですが。
 あのジャンボ機には、受講していた体育の先生がご家族で乗っていた。乗客名簿に知った名前が出てきて、まさか、と思っていたが、職業などがニュースで流れ、そして夏休みが明けたときに、もうその先生がこの世に居ない事実を知った。
 飛行機に乗る時、急な都合で搭乗便が変更になったり、航空会社の都合で変更になることがある。そんな時、急に不安が過ぎる。急遽乗ることになったのは、何かの因縁だろうか。乗らないことになった飛行機が事故に遭遇したりしないだろうか、逆にここで急に変更したために事故に遭遇する羽目に陥ったりしないだろうか、と。
 例えばこんなケース。羽田?松山の直行便が満席なので、羽田?伊丹?松山という具合に予約した。当日、羽田空港に来ると、羽田?伊丹便が30分遅延のため、伊丹での乗り継ぎができなくなることが判明。そこで係の女性に相談すると、「ちょうど直行便に空席が出ましたが、変更なさいますか?」と。
 この時、この一言に喜び、「じゃあ、そのようにお願いします」と言うべきなのか、それとも、ちょうど空席が出るなんて、あまりにも偶然、キャンセルした人が強運の持ち主だったら自分が大変な目に遭うかもしれない、とやめておくのか、ふと考えてしまう。もちろん、飛行機は万全の整備をされて、事故のないように日々努力されていることは知っている。ただ、実際に事故に遭遇するか否か、というのは、こういう紙一重のところにあるようにも思う。
 で、「まあ、そこまで深く考えずに、乗ればいいじゃん」と判断したとしよう。搭乗口まで来た。すると、「出発準備に時間を要しております」というアナウンスとともに「当便は満席で、座席が不足する恐れ・・・」と言われ、明日の始発便に振り替えてくれるフレックストラベラーを募り始めた。すごくいやな空気。いわば「乗らないという選択肢を再びあなたに授けましょう。さあ、それでもこの便に乗るのですか?」と聞かれているような気もする。思わず、
「明日の便に振り替えてもいいですよ」
と申し出てしまう。係の女性が約1時間前にせっかくこの便に変更してくれたものを、である。ただ、フレックストラベラーと言っても、申し出た瞬間に決定するとは限らず、時間ぎりぎりまで確定しない。その一方で「出発準備に時間を要しており、新しい出発時刻を10分遅らせます」とアナウンス。
 「出発準備に時間を要して・・・」の理由が気になる。ん?何かのマイナートラブルの点検中か?それとも、VIPの急な搭乗依頼で、その確定まで搭乗させないのか?
 出発が遅れる、というのは、余計な思考(定刻に着くように挽回しよう、とか)に導く場合、ヒューマン・エラーの悪のサイクルに乗るキッカケにもなりえる。もちろん、そうならないように訓練された人々が働いているのだが、そこにマイナートラブルが絡むとすると・・・。ヤバイ、ヤバイ。何か悪い方向に向かってないかい? 嫌な空気。
 で、時間が経って、No Showか何かで座席数が確保され、折角”この飛行機に乗らない自分”を選んでみたのに、結局乗ることになってしまったりする。ここまで偶然の重なる中、この飛行機に乗ってしっていいのか?極めて運命的な搭乗。
 で、何かいつもよりビクビクしながら定刻から15分遅れの出発。一つ一つのことが気になるのだが、しかし、結局何事もなかったように、しかも遅れも挽回してほぼ定刻に松山空港に着いてしまったりするのである。スポットインしたその隣のスポットには、当初乗るはずだった伊丹からの便が一足先に到着、駐機している。「ああ、ホントは今日はあいつに乗るはずだったんだけどな。」何か不思議な感覚。
 余計なこと考え過ぎか。でも、坂本九さんの話とかを見ていると、ふと考えてしまう。ま、飛行機に乗る、乗らないに限らず、実は人生そのものがこういうストーリーなんでしょうけど。