石に刻む

投稿者: | 2011年9月8日

歴史、特に日本史というような科目で捉えると昔からあまり関心があまりなかった。ただ、ある頃から思い始めたのは「石」の持つ意味。
 学生の頃、尾道でお年寄りに話しかけられて、「尾道の石段は瀬戸内海の石を使って、継ぎ目のない細長い石で段を・・・」というようなことを聞いた。その頃から「石」のことを少し考えるようになった。例えば駅の階段といえば最近のものはほとんどコンクリート造り。ただ、古い駅では石の階段なんかがあったり、あるいは部分的に石が使われている。石の種類(素材)にもよるんでしょうが、長持ちするようで、首都圏の駅ように大量の人が上を歩いてツルツルになっても延々と使われて続けている。まあ、コンクリートが当たり前のように使える時代になる前だから石で造ったのかもしれないけど・・・。
 そういうことは前から考えていたところに、今回の震災であらためて考えたのは石碑の意味。津波が来たことを石碑に刻んで後世に伝えようとしていたという話が出てくるわけで、「伝えたい」ということにどれほど重きをおいていたのかはわからないものの、確かに伝わる。まあ、石碑が残っていたからと言って「ここより上だったら助かる」と限らないのは確かにそうなんだけど。
 今の時代、Youtubeなどに動画を保存しておけば後世に伝わる、といえばそうかもしれない。ただ、Youtubeとて別に博物館じゃないんだから消滅してもおかしくない。動画をデジタルデータとして保存していても、本当に何十年、何百年も経った時にそれが活きているかどうかはわからない。そういえば放射性廃棄物の長期保管についての報道番組でも「ここの地下に危険な物が埋まっていて、千年のスケールで危険であり続ける」なんてことを延々と代々伝承できるのか?という疑問が投げかけられていた。記録というのは所詮そういうものなのかもしれない。
 ま、だからどうした、という話でもないのですが、例えば江戸時代から残る道標などを見ていると、石碑に刻んである言葉が何か訴えかけていないか、もう少し見直すというか、よく考えて読んだ方がいいのかな?と思ったのでした。