「「講義ノート屋」氷河期 京阪神の大学で「閉店」続出」という記事がネット上に出ていた。
この街には「講義ノート屋」はない、と思う。理由としては、そもそも同じ科目を受講する学生の数、需要量が少なすぎて印刷単価が上がってしまい、おそらくまともな価格にならないものと思う。
「ノート屋」というのはかなり昔からあると思う。自分自身、講義ノートを買ったこともないが、コピー代金1枚10円が当たり前になってからは色々と工夫がなされたと記憶している。「講義ノート」がただの印刷物だと、それを丸々コピーすればよい。そうすると、例えば40枚のコピーで済むなら、400円以下で供給しないといけない。しかし、それでは利益を出せないだろう。で、どうしたかというと、金属のような物質の混ざり込んだ紙を使って販売用講義ノートを印刷する。そうすることで、コピーを取ると真っ黒に写る、という仕掛け。コピー不可の講義ノートは、たぶん材料代もかかって、かなり高かったんだろう。ま、講義に出ずに単位を取るためには安かったのかもしれないけど。
記事によると講義ノートが売れなくなった理由として、「単に単位をとるだけでなく「優」の数を増やそうとする学生が目立つようになったうえ、出席をとる講義も増え、写しを買う必要が薄らいだのだ。 」というのと、ノートの質の問題として、「以前は口頭で説明した内容や試験に出そうなポイントも書き込まれていたが、板書を写しただけのものが増えていた。お金を出すには物足りない内容だった」というものを挙げている。
出席率がどう変化しているのか、そのあたりはデータを取っていないのでよくわからない。履修登録だけして試験まで姿を現さない学生さんというのは今も確かにいると思う。ただ、最近目立つ新しい傾向として、アンケートに「講義中にうるさい奴らにはちゃんと注意してくれ!」という意見が出る(本務校ではない大学では毎年見るようになった)。出席をとるから、聞きたくない学生まで教室に座っている、ということだろうか。昔はつまらない講義や興味のないテーマの講義には、出ずに喫茶店や友達の下宿で駄弁っている、というのがあったと思うんだけど。ま、私の講義ではうるさくするなら出てくるな、って言ってるし、正直騒々しい奴はいないように思ってるんだけどなぁ。
あと、ノートの質についての指摘は面白い。今や1回生向け科目の中ではノートの取り方まで解説される。それを受けて質が上がっているのかというと、それもよくわからない。私の場合、割と黒板に書きまくるのだけど、板書が止まるとペンも止まる。黄色のチョークを使うと赤のボールペンに持ち替える音がカシャカシャする。「いや、別に黄色にしたのは見やすくするだけで、特別重要とかいう意味はないですよ?」とか言ったりもするわけで。真面目というか、型通りの行動にはまっているという意味ではいいのかもしれないけど・・・。
会社勤めたりして会議に出た場合、あるいは家事をするにあたって「ここが大事ですよ?」とか誰も言ってくれないんだし、ましてや板書されることも稀。ノートを自分で作り上げることは、将来への練習にもなってると思うわけで。
そういえば先日、ノートの取り方に関する情報がITmediaのページに載っていた。「コーネル大学式のノート」というのは大阪の紀伊国屋に寄った時に買ってみた。面白いが、まだ未使用。今は以前の講義ノートに書き足したり削ったりで更新しているので、次の改訂時には使ってみたい。
さて、
今朝クルマで移動したら、交差点ごとに警察官の姿が延々と続く。でも緊張感はそれほどピリピリしたものでもなかったので、おそらく育樹祭の同じ曜日、同じ時間帯の予行演習だったんだろう、ヘリまで飛んでいた。