信じるものは・・・

投稿者: | 2008年12月12日

今日は道を間違えて国会記者会館の前に出てしまった。
 そこでふと敷地内を見てみると、はあ、黒塗りのハイヤーが大量に。国会担当の記者さんたちは黒塗りのハイヤーで移動なんだろうか。先日テレビで「日本の新聞社の前には大量のハイヤーが・・・」というようなことが言われていたが、見ると確かに違和感があった。
 ま、モノを見る目というのは面白い。教祖様のように崇め奉る人の一門の話だと出鱈目ばかりでも信じ込んでる。同じ一門じゃない他の人の話だと穿った目でしか読めない。対照的で面白い。
 まあ、信じる対象を失うのが怖い人にとっては仕方のないこと。教祖様を失うとアイデンティティまでなくしちゃうわけだから、そこに固執する。
 昔、森首相の時代の末期には一言一言が散々な扱いだった。あれだけボロカスに非難されていたんだが、小泉政権の途中から安倍政権にかけての頃は大物キングメーカー扱い?! 今はどうなってのか知りませんが、扱いが変わるというのはただ単に権力に迎合してない?!
 そういえば首相の漢字の読み間違いが話題になっていたが、まあ読み間違いは仕方のない面もある。私自身、専門用語の読み方を間違ったまま覚えていたこともある。まあこれは、口伝えで専門用語を学んだら、とりあえずそのまま聞いた時の読み方に従うことになるから、正しい読み方を知ったときには「まさか、そうだったのか」ということになる。外国の人の名前なんて、まさに誰かがそう呼んでいたら自分もそう呼ぶだろう。
 ま、それはそれとして、読み間違いってことから、どうも首相はワープロで文章を書いていないのではないか?
 というのも、間違って覚えた読み仮名で日本語入力すれば、漢字に変換されない。それが珍しい単語であれば、日本語変換システムが知らない単語だと推測することもできる。が、一般的な用語なのに変換できないとなると、それは読み仮名が間違っていた、と考えるべきである。
 もちろん、変換システムに間違った語法で登録してしまえば、間違ったまま通すこともできるが、自分を疑うことができれば、「もしや」ということに気づくはずである。政治家たるもの、信念がなければいけないが、その一方でホントに正しいのかどうか、自分を疑う余裕も必要では?
 もちろん、首相が演説原稿などを全部自分でゼロから書いているとは限らない。が、基本的な用語で読み間違いが多いとなると、いつも誰か他人の書いた原稿を使っているのか、原稿は手書きである、ということになる。首相は原稿を”ワープロではなく手書きで書かれている”ということにしないとまずいんじゃないですか?